鍼灸師は「技術」と「人柄」どちらが大切か

鍼灸師にとって大切なのは「技術」か「人柄」か。議論になることがある。

 

鍼灸師が技術を問われると同時に、人に接する仕事でもあるからだ。医師なども同じように「技術か人柄か」と問われることがあると思う。

 

今回はこの問題を考えるために、技術の良し悪し、人柄の良し悪し、それぞれの組み合わせについて考えてみたいと思う。

 

つまり、この世には4種類の鍼灸師がいる。

 

①技術が良くて、人柄も良い

②技術は良いが、人柄が悪い

③技術が悪いが、人柄は良い

④技術が悪くて、人柄も悪い

 

早速、行ってみよう。

 

①技術が良くて、人柄も良い鍼灸師

これは最高である。技術が良い上に、人柄まで良い。言うことなしである。全ての鍼灸師が目指すべき模範であり、最高の到達地点と言っていい。と言うか、冒頭で「どちらが大切か」と言っているのにどっちも良いんだから、何も言うことはない。

 

②技術は良いが、人柄が悪い鍼灸師

職人タイプの鍼灸師にしばしば見られる。ぶっきらぼうで人当りが悪かったり、単純に人間性に問題があったりするが、腕は良い。第一印象は良くないが、技術があるのでそこそこやっていける。そもそも鍼灸院に行く人は、何かしら困っている状況にある。なので「治してくれるなら、まぁ良いか」と思ってくれるケースも多い。

 

まれにタチの悪い鍼灸師だと、職人ぶって「俺は愛想がないから」などと聞いてもいないのに語りだし技術は良いが、人柄が悪い鍼灸師を演じていることがある。何でこんなことをするのか分からないけど、おそらく「この鍼灸師さん、不愛想だけど患者さんが来てるってことは、腕はいいんじゃないか」と思わせるギャップを狙っているんだと思う。

 

「お前は単に性格が悪いだけ」と言いたくなるが、絡まれるとややこしいのでそっと身を引くのが一番だ。

 

③技術が悪いが、人柄は良い鍼灸師

これはちょっと難しい。というもの、鍼灸師の腕は技術だけではなく、総合的な能力で決まるからだ。仮に技術がなくても、ものすごく話が上手かったり、また話を聞くのが上手かったりすると、鍼灸院は結構繁盛する。繁盛していると「繁盛してる=腕が良い」という錯覚も手伝って、ますます繁盛する。

 

また患者さんから見て「この鍼灸師は腕が良いか」というのは、施術を受けてみるまでわからない。何なら、施術を受けてもわからない。効いてるんだか効いてないんだか、よくわからない施術を受けたとしても自信満々で「こういうものです」と言われてしまえば、患者さんは「そういうものなのか」と信じるしかない。そもそも、鍼灸で何ができるのか、どんな効果があるのか、ほとんど世に知られていないのだから。

 

で、繁盛している鍼灸院にはリピーターがたくさんいる。私の経験上、この手のリピーターをつかむことに長けた鍼灸師期待と不安を煽るのがとても上手い。つまり「ここでなら治るかもしれない」という期待を抱かせ「通わないと治らないんじゃないか」という不安を掻き立てる。このアメとムチを巧みに使われると、患者さんは鍼灸師に「ハマって」しまう。

 

これは考えようによってはタチが悪い。なぜなら、患者さんが良くなる機会を奪っているからだ。

 

もし鍼灸施術を受けて「効果がないな」と思えば、他の鍼灸院に行ったり、他の治療法を試せばいい。しかし人間的な魅力があり、効果があるかイマイチわからないが何度も通ってしまう鍼灸師は、患者さんが良くなる「機会」を奪っているとも言える。

 

例え技術がなくても、その鍼灸師によって救われる人がいるなら構わない。しかし、効果がないのに「この鍼灸師を信じてみよう」と思う患者さんの気持ちや「ここでなければ治らないかもしれない」と思う不安な気持ちを食い物にするような鍼灸師がいたら…それは許しがたい。

 

④技術が悪くて、人柄も悪い

これはシンプルに最悪である。技術か人柄を磨けば「技術は良いが、人柄が悪い」もしくは「技術が悪いが、人柄は良い」鍼灸師にクラスチェンジできる可能性はある。しかし何年も鍼灸師をやっているのにこのレベルに留まってるようなら、世のため人のためにも辞めて欲しい。

 

結局、技術と人柄どちらが大切か

個人的には、技術の方が大事だと思う。もちろん、人柄が良い鍼灸師にも需要がある。

しかし、そういう人は鍼灸師でなくてもやっていける。鍼灸というツールを利用しているが、鍼灸師である必要はない。

 

鍼灸師であるなら鍼と灸でなければできないことに優れていて欲しいと、私は思う。

「あ、鍼って本当に効くんだ」と思ったことのない鍼灸師は大したことない

鍼灸の専門学校に通っていた頃に「もし自分が超絶テクニックを身につけたら」と妄想していた。

 

肩が痛くて上がらない患者が僕のところにやってくる。僕は患者の身体に鍼を1本打つ。すると、先ほどまで痛くて上がらなかった肩が…上がっている!「先生、痛くないです!」「でしょう(ドヤァ)」

 

みたいな感じだ。 ヒマだったんですかね

 

現在、超絶テクニックを身につけたとは言い難いが、それでも会心の一撃とも言えるホームラン級の成果が出る時がある。実際そんな場面に遭遇すると「ドヤァ」ではなく「あ、鍼って本当に効くんだ」と素直に思う。患者もビックリしてるが、それ以上に僕がビックリしている。もちろん悟られないようにはするんだけど。

 

マジか、と。

鍼ってこんなに効くのか、と。

 

当時「超絶テクニックを身につけたい」とは思いつつも「しかし、鍼なんて本当に効くんかいな?」みたいな思いは常に頭の片隅にあった。

 

しかし、僕はすでに知ってしまった。然るべき状況で、然るべきツボに正確に鍼をすると、瞬間的に症状は改善する。これは大げさな表現ではない。マジで変わっちゃうのだ。これは結構しつこい症状じゃないのコレ、みたいなのがアッサリ治ってしまう。そんな状況に遭遇すると、自分の腕をドヤる気持ちは微塵も現れない。ただただ、バカみたいに「は~鍼って効くんだな~」と思うばかり。口は半開きである。

 

僕もこういった鍼の力を知らなかった時は「鍼はすごい!」「鍼は色んな症状に効果がある!」みたいな根拠もない曖昧なことを言っていた。今思えば詐欺だなコレ。そんなこと言ってるから、いつまで経っても「鍼はあやしい」ってイメージが無くならないんだってば。

 

また「鍼灸師は鍼の効果を知ってなくちゃいけない」という暗黙のプレッシャーがある。これは、自分でもおかしなことを言っていると思う。鍼灸のプロたる鍼灸師が、鍼の効果を知っているのは当たり前である。しかし、現実は鍼灸師ですら鍼がどんな効果を引き起こすのか、正確には把握していない。

 

せいぜい「打ったところの筋肉が緩む」とか「血流が良くなる」みたいな漠然としたイメージが関の山である。漠然としたイメージしか持ってないのに、シャープな効果を生み出せるわけがない。切れ味するどい、「鍼って本当に効くんだな」と思える効果は生まれない。

 

料理人が味見もせずに「これ、美味しいですから召し上がってください」と言っていたら「詐欺じゃん」と思うのが普通だろう。自分の料理の味を知らないプロの料理人、そんなもんプロでも何でもない。しかし、鍼灸業界ではそれがまかり通っている。

 

どうかしてると思うんだけど、どうですかね?

【後編】読書のハードルを上げすぎていませんか?読書アレルギーを克服したい人に「並行読書」をオススメします

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前回の記事で「読書好きは読書のハードルがとても低く、読書嫌いはハードルを上げすぎている」と書きました。

 

shinkyushi.hatenablog.com

今回は、読書嫌いだけど本を読んだ方がいいと思っている…

そんな人にオススメする「並行読書」のやり方を説明します。

 

並行読書の目的は、とにかく読書のハードルを下げること。これに尽きます。

 

並行読書を始める手順

①本を3~5冊用意する

もっと多くてもいいのですが、3冊くらいから始めるのがオススメです。

本のジャンルはバラバラがいいでしょう。その方が読んでいて飽きないからです。

 

②好きなところから読み始める

どの本から読んでも構いません。どのページから読んでも構いません。目次を見て、興味のあるところから読み始めます。ただ、小説は初めから読まないと意味不明になることがあるので、ある程度は順番に読むことをオススメします。

 

③飽きてきたら、次の本を読む

「せっかく読み始めたのだから、せめて2ページくらいは読んでから…」とか考えてはいけません。そう思った瞬間から読書のハードルは上がり始めます。飽きたら躊躇せず次の本へ。次の本も、どこから読み始めても構いません。

 

④飽きたら次の本へ、を繰り返し、用意した本を2~3周読む

これを繰り返して「そろそろ本読むの飽きたな」と思ったら、スパッと読むのを止めます。

 

つまり「ジャンル違いの本を何冊か用意して好きなところから読み始め、飽きたら次の本を読む」のを繰り返すのが並行読書です。

 

どうですか?「簡単そうだな」と思うでしょうか。

実は、世の中の読書好きと呼ばれる人たちはナチュラルに並行読書をしています。

いつも複数の本を持っていて、ちょっとした空き時間にパラパラッと読む。これなら負担にもなりません。

負担にならないから継続できます。

継続すると、さらに本が読めるようになります。一回に読めるページ数も多くなってきます。

 

このようにして、読書好きは本から得られる恩恵をむさぼっているのです。

 

さて、ここまで読んでも「それでも、読書はちょっとなぁ…」と思っているあなた。

大丈夫です。本を読んだ方が良いと思っている、その気持ちがあれば充分です。

 

ここからは読書好きの僕が、読書嫌いによく聞かれる質問に答えていきます。

 

Q.どんな本を読めばいいか分からない

A.とりあえず、目についた本を三冊。問答無用で読もう

本当に何でもいいんです。話題の本、本屋の目立つ場所に平積みにされている本、タイトルが気になる本、本のカバーが気に入った本、友人が読んでいる本、何でもいいんです。

読書嫌いは、本を手に取るまでに考えすぎです。どんな本も、読んでみないと内容はわかりません。買うのがもったいなかったら、電子書籍や古本屋を利用すれば安く手に入ります。

 

僕がよく使うのは図書館です。図書館のコスパは最強です。タダですし、たいていの本は手に入ります。近所の図書館に蔵書がなくても、リクエストすれば取り寄せてくれます。

 

Q.何冊も同時に読んでそれぞれの本の内容を把握できるの?

A.できます。並行読書なら。

読書嫌いの最大の誤解が「本は1ページ目から、順番に、最後まで読まねばならない」と思い込んでいること。こんな意味のない謎ルールは、たった今から忘れましょう。

読書に決まったスタイルはありません。

好きなところから読んでいいんです。

飛ばし飛ばし読んでいいんです。

最後まで読み切れなくてもいいんです。

「本は1ページ目から~」という謎ルールを律儀に守ってきたからこそ、あなたは読書嫌いになった可能性があります。

 

本を続けて読むには集中力が必要です。でも、人の集中力ってそんなに持ちません。

せいぜい、もって45分くらいでしょうか。

ずっと同じ本を読んでいたら、よほど面白い本でないとダレてしまいます。

ダレる前に次の本に切り替えて、集中力を保つのが並行読書の狙いです。

集中力が保たれていると、3冊くらいであれば本をとっかえひっかえしても内容を把握できます。

何なら「忘れたな」と思ったら、少し戻って読み直せばいいんです。

もう一度言いますが、読書に決まったスタイルはありません。

同じところを何度も読んではいけないと、誰が決めたのでしょうか。

 

Q.最後まで読み切れなかった

A.その本がつまらなかったか、今のあなたに必要なかったんです

パラパラッとすべてのページに目を通したが、どうも読む気がしない。

そんな時は、潔く読むのを止めましょう。

すべての本が素晴らしいわけではなく、つまらない本もたくさんあります。

一説によると、1冊の本で必要な内容は3%しかないそうです。

今は「つまらないな」と思っても、1年後に読んだら「面白い!」と思える本もあります。

その本を読むかどうかは「今のあなたが興味を持てるか否か」で判断して問題ありません。つまらない本は置いといて、どんどん次の出会いを探しましょう。

 

Q.文字を読むのが苦にならないのか?文字が多いのを見るだけでもうダメ

A.誰だって興味のない文字の羅列を読むのはツラい

特殊な読書好きに「活字ジャンキー」がいます。活字ジャンキーは、とにかく活字が好きです。特に紙媒体の活字を好みます。

僕は読書が好きですが、かなりの飽き性です。一部の特殊な例を除けば、多くの読書好きが「飽き性だけど読書が好き」と言います。

飽き性と読書好きは矛盾しません。ところで、1年間にどれくらいの本が出版されているかご存知でしょうか。

約7万冊だそうです。一ヶ月で約6000冊、一日約200冊です。

朝から晩まで本を読んでも、一日で200冊も読めません。

世の中にはそれくらい本があるんです。次々と読み飛ばして、興味のある本だけじっくり読む。これで何の問題もありません。

 

Q.これだけは守った方が良い、というルールはあるか

A.1冊の本に目を通す期限は2週間。これだけは守った方がいい

読書のハードルを下げるための並行読書ですが、あまりにもルールがないとダレていまい、かえって継続できません。貸出期限を2週間にしている図書館が多いので、それを一つの目安にするといいでしょう。

 

 

とにかく、意気込んで読書を始めるのはNG。この記事を参考にして、とにかく読書のハードルを下げてください。ハードルを下げて、継続してください。

継続すると言っても、毎日本を読む必要はありません。空き時間を使って始めてください。

あと、やり始めたけど3日で飽きてしまい、もう1ヶ月経ってしまった…という場合でも、またそこから再開すればいいんです。

「でも今さら」と思うでしょうか。その「今さら」をやるのが、本当の継続です。

 

最後に伝えたいことがあります。

 

「読書はただの趣味。得られるものは特にない」

 

気軽な気持ちで本、読んでみてください。

【前編】読書好きと読書嫌い、両方と話して気づいた8つの違い

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あなたは「本を読んだ方がいいのはわかってるけど、なかな続かないんだよね~」と思っていませんか?

 

最近、僕の周りの読書好き、読書嫌いと話していて気づいたことがありました。

 

それは「読書嫌いは、読書のハードルを上げすぎている」ということです。

 

ちなみに僕は、月に10冊ほど本を読んでいます。

 

この数を多いとも少ないとも思っていなかったのですが、文化庁の調査によると1ヶ月に1冊も本を読まない人は47.5%、7冊以上読む人が3.6%だそうです。

 

www.sankei.com

つまり1ヶ月で見ると二人に一人は1冊も本を読まず、7冊以上読む人は百人中三、四人しかいない。

どうも僕は百人中三、四人の方に入っているようです。

 

で、僕の周りの読書好きたちは、読書のハードルがとても低い。

 

  • 興味のある本はとりあえず手にとってみる。
  • 色々なジャンルの本を読む
  • 最初から順番に読まない
  • 最後まで読まない
  • 最後まで読めなくても気にしない
  • 面白くなかった本に費やした時間を無駄と思っていない
  • 読書すること自体が目的なので、何も得られなくても気にしない
  • 読書=偉いと思っていない

 

読書嫌いは、この逆です。

 

  • 本を手にとるまでに考えすぎる
  • 特定のジャンルしか読まない
  • 本は1ページ目から読むものだと思っている
  • 一度読み始めたら、最後まで読まなければならないと思っている
  • 最後まで読めなかったことを悔やむ
  • ハズレの本を引いた時に「時間を無駄にした」と思う
  • 読書は手段なので、得るものがないと損した気分になる
  • 読書は特別な行為だと思っている

 

読書好きは、ネットサーフィンをするくらいの気軽さで本を読んでいます。

 

読書嫌いからすれば「よくそんな事できるな」と思うかもしれませんが、そんな人でも毎日スマホまとめサイトを見たり、ブログを読んだりしているはず。

文章を読むのが特別苦手、ということはないでしょう。

 

にも関わらず、読書になると急にハードルが上がるのはなぜか?

 

これは学校の国語教育が原因だと考えられます。

 

国語の授業では、文章を音読して、作者の意図を考えて…と退屈な作業を延々と繰り返します。

また本の構成は、順番に、かつ全部読まないと理解できないようになっているものも多い。

 

これでは、本を読むのが嫌いになってもしかたないありません。

大人になったあなたが読書嫌いなのは適性がなかったからではなく、退屈な作業を延々と強いられていたせいかもしれません。

本当は面白いことでも、それを作業として強いられたら誰だって嫌になりますよね。

 

 でもこの記事を読むあなたなら、本当は本をもっと読めたら、読書嫌いを克服できたら、と思っているはず。

 

ならば「並行読書」をオススメします。

 

「並行読書」とは、複数の本を同時並行で読む方法です。

 

なお同じジャンルの本を10~20冊用意して一気に読み、知識を網羅する読書法を「パラレル(並行)読書」と呼ぶこともあるそうですが、僕が紹介するのはこの方法ではありません。

 

目的は、とにかく読書という行為のハードルを下げること。これに尽きます。

 

世の中に読書法は数あれど、結構マッチョ思考の方法が多いように思います。

速読とか、チャレンジシートを作るとか。ある程度の体力がなければ続きません。

 

読書のハードルが下がれば自然と継続できますし、継続できればさらに読書のハードルが下がってより読める。その最初の一歩をどう踏み出すか、が大切です。

 

やりがちな失敗が「さぁ読むぞ!」と意気込んで今まで読んだこともないような分厚い本を用意し、結局読み切れないパターン。

 

もしあなたの友人が突然「今度エベレストの無酸素登頂をやってみようと思う」と言い出したら、「いや、それはいきなり過ぎないか」と思うでしょう。

 

逆に、スニーカーでも登れる簡単な山ばかり登っている人が「登山のことはだいたいわかった」と言っていたら「いやナメてんじゃねーよ」とツッコミたくなります。

 

その中間を埋めるように、徐々に負荷を上げていけるトレーニング方法が「並行読書」なのです。

 

次回はその具体的な方法を説明します。

 

shinkyushi.hatenablog.com

それでも僕が鍼灸師を続ける5つの理由

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鍼灸師はアヤしい仕事です。世間からも「何やってるの?」と思われています。

稼ぎも多くありません。合コンに行ってもモテません。免許をとっても実際には施術業務を行わない「ペーパー鍼灸師」が増えているようですが、賢明な判断でしょう。

 

にも関わらず、なぜ僕が鍼灸師を続けているのか?鍼灸師によって理由は様々でしょうが、僕が鍼灸師を続ける理由は5つあります。

 

鍼灸師を続ける理由その1:何たって、面白いから

5つあると書いといて何ですが、もうこれに尽きます。鍼灸は面白いんです。

だって、髪の毛ほどの細さの鍼をほんの数ミリ身体に刺すだけで、ダイナミックな変化が起きるんですよ。目の前の患者さんが「あっ治った!」って言ってくれるんですよ。不謹慎かもしれませんが、一度この快感を味わうと止められません。アヤしいだけの鍼灸が一気に魅力的なものに変わります。

とは言っても、最初から鍼灸面白いな~と思っていたわけではありません。

今の技術に出会ってからです。現時点の僕にとって、最高の技術だと思っています。

もったいぶった書き方でごめんなさい。

 

鍼灸の技術の選び方については、こちらの記事に書いています。

 

どんな技術を身につける?鍼灸の流派を選ぶときは「再現性」「普遍性」「実用性」をチェックしよう(作成中)

 

鍼によるダイナミックな身体の変化を目の当たりにすると知的好奇心がムクムクと湧き上がってきます。

なぜなんだろう?身体はどういう仕組みになっているんだろう?興味は尽きません。

一生かけて追及するだけの価値があります。

 

鍼灸師を続ける理由その2:鍼灸だけができる職場に出会えたから

看板に「〇〇鍼灸院」と書いてあっても実際はマッサージや整体を行っていたり、もっと言うと鍼をやっていないところもあります。鍼灸の専門学校を卒業して才所に職場では、鍼は完全にサブ扱いでした。マッサージのあとに、ちょこちょこっと鍼をする程度。どの鍼が効いたのか、何に効いたのか、わかりっこありません。

そんな現状に嫌気がさしてしました。

だって、人の身体に鍼刺すんですよ?

1本1本の効果を確認しながらやるのが普通じゃないですか?

そうじゃなかったら、患者さんは何のために痛みを我慢して鍼を受けるんですか?

 

…こんなことを同業者(鍼灸師)に言うと煙たがられます。めんどくさいやつだと。「そんなこと考えても意味ないよ」とよく言われました。

 

それでも「この症状に鍼をする必要があったのか」という疑問がなくなることはありませんでした。

効果が出れば何でもいい、と割り切ることもできませんでした。

 

鍼灸だけで価値のある医療を提供することはできないのか…と悩んだ時期もありましたが、今ではそれも含めて良かったと思います。

 

だからと言って、あきらめずに鍼灸の可能性を追究しよう!というつもりはありません。これはあくまで僕のケースです。

 

鍼灸師を続ける理由その3:生活に困らないくらいは稼げているから

開業鍼灸師の平均年収は200万円程度だと言われています。

利益じゃないですよ、売り上げです。そこから色々差し引かれます。

そんなんで、どうやって生活していくんですか?

鍼灸ができれば何もいらないんですか?

というか、それだけしか稼げない技術に誇り持てますか?僕は無理です。

 

幸いにして今は鍼灸だけで施術を行い、23区で一人暮らしするのに困らないくらいは稼げています。

 

これは技術と収益構造の両輪があって成り立つものです。いやーありがたい。

あと数年、今の職場に出会うのが遅かったら僕は鍼灸師を辞めていたかもしれません。

それほど、鍼灸師の労働環境は劣悪なんです。

 

鍼灸師を続ける理由その4:手に職をつけたいから

元々、サラリーマンになりたくありませんでした。何か技術を身につけた職人になりたいと思っていました。そんな中でたまたま鍼灸と出会い、今の道に進みました。

 

今後「やっぱり鍼灸辞めようかな」と思うことがあるかもしれません。

それでも、何かしらの技術を身につけて、それで食べていく道を選ぶと思います。

 

変化の早い現代で、時代の流れを読むスピード感は僕にはありません。

そんな僕がとれる戦略は、時代に左右されないスキルを身につけることです。

苦手を克服して平均的な能力を獲得するよりは、圧倒的な強みを伸ばす。

その方が変化に対応しやすいのではないか。そう考えています。

 

鍼灸師を続ける理由その5:鍼灸業界はブルーオーシャンだから

日本国民の鍼灸の受療率、つまりどれくらいの人が鍼灸の治療を受けたことがあるか、ご存知でしょうか?

5%です。たったの5%。

これをチャンスが少ないと捉えるのか。まだ95%のブルーオーシャンが広がっていると考えるのか。

僕は鍼灸の未来を悲観していません。医療としてきちんとした価値を提供できるなら、鍼灸が必要とされる場面は無くならないでしょう。

ただ、今のままではダメです。適当なことを続けていても、社会的な信用は得られません。

社会にインパクトをもたらすような取り組みが必要です。

それも華々しいインパクトではなく、地道で堅実なインパクトです。

 

それができたなら「鍼灸師になるなんてどうかしてる」どころか

鍼灸師っていい仕事ですね」と言われる世の中になるかもしれません。

 

いつもそんなことを考えています。

 

 

「鍼って痛くないの?灸って熱くないの?」ってめっちゃ聞かれるので、正直に答えます

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「仕事は何してるんですか?」と聞かれて「鍼灸師(しんきゅうし)です」と答えると、だいたい「え?シンキュウシ?」と聞き返されます。

 

そんな時は「“はり”と“きゅう”のやつですよ」と答えると「あー!」と納得してもらえることが多いです。

 

認知度が低すぎて悲しい限りですが、まぁ仕方ありません。

 

決まってその次に聞かれるのが

「鍼って痛くないの灸って熱くないの?」

鍼灸って効果あるの?」

この2つです。

 

まず「鍼って痛くないの?灸って熱くないの?」に答えます。

 

正直、鍼は痛いこともあるし灸も熱いことがある

これが正直なところです。「全然痛くないし、熱くないですよ~」とか言えずにすみません。

 

そもそも、なぜ痛さと熱さのリスクを冒してまで鍼灸をするのか?

それは

 

鍼でなければ治らないから

灸でなければ治らないから

 

こういった明確な目的があるからです。

少し優先度は下がりますが、

 

鍼灸の他に有効な手段がないから

 

こういうケースでも鍼灸を使うことがあります。

 

もしあなたが鍼灸治療を受けることがあって「治したいけど、鍼灸は不安だな」と思ったら、担当の鍼灸師に「私の症状、鍼灸でないと治りませんか?」と聞いてみることをおススメします。

 

良心的な鍼灸師なら、他の治療法との違いを説明した上で、鍼灸を受けるメリットとデメリットを示してくれるでしょう。

 

逆に「私の症状、鍼灸でないと治りませんか?」という質問に明確に答えられなかったり、鍼灸のメリットばかりを語る鍼灸師には気をつけた方が良いかもしれません。

 

あと、鍼の痛さと灸の熱さの“程度”にお答えします。

 

鍼灸治療を受けに来る人は、ある程度の痛みや熱さを覚悟してきています。

すごい勇気だと思います。

 

まず鍼の痛みですが「何も感じない」から「明らかにチクッと鍼を刺された」まで痛みの幅があります。

 

灸は「まったく熱さを感じない」から「あっつ!!!!!」まで熱さの幅があります。

 

また経験上、鍼の痛さや灸の熱さと、治療の効果は比例しません。

 

つまり「めちゃくちゃ痛くて(熱くて)効果のない治療」「まったく痛く(熱く)なくて、効果のある治療」もあります。

 

繰り返しますが、これらのリスクを冒してまで鍼灸をするのは

 

鍼でなければ治らないから

灸でなければ治らないから

 

という明確な目的があるからです。

 

もちろん良心的で勤勉な鍼灸師なら「痛く(熱く)なくて効果のある治療」を追究しています。

全ては、勇気を出して鍼灸を受けに来てくれた人の期待に応えるため。そして鍼灸師は「小さな刺激で大きな変化を起こすこと」が好きなんです。

 

リスクは最小限に、効果は最大限に…という当たり前を追究する鍼灸師が一人でも増えれば「鍼灸師になりたい?どうかしてる」なんていう世の中でなくなるかもしれません。

 

鍼灸って効果あるの?」に続く(作成中)

 

 

「気」とかわからないけど、鍼灸師やれてます

僕は「気」が何なのか、よくわかりません。

見えたこともないし、感じたこともありません。

 

世間では、一流の鍼灸師は気を出したり、気の流れを読んだり、気を感じたりしている、というイメージがあるのでしょうか。

 

実際、理屈では説明のつかない方法で身体の状態を捉え、圧倒的な治療効果を上げている鍼灸師もごく一部にいるようです。

 

ですが、彼ら彼女らは一握りの天才だと考えた方が良さそうです。そうでなければ、世の中にもっと「気」を感じられる鍼灸師がいるはずです。

 

大半の鍼灸師は普通の人間なので、視覚・味覚・嗅覚・聴覚・触覚の五感から得られる情報しか認知できません。

僕も普通の人間なので、五感を使って治療に必要な情報を集めています。

 

自分の感覚ではっきりと認知しているもの以外を頼りにすると、治療の結果もあやふやになります。

行き先があやふやなのに走り出しても、ゴールにたどり着ける保証はありません。たまたまゴールの近くに着いても、それは偶然です。

 

偶然に頼って治療を続けるのは、とても辛い。患者さんに対して責任がとれないのはもちろんですが、霧の中を手探りで進むような治療を続けていて、まともな精神を保てる人はいません。

 

僕も偶然に頼って治療をしていた時期がありました。患者さんの訴えを聞いて、とにかく鍼を打つ。1本1本の効果や影響を考えている余裕はありません。

 

さんざん鍼を打った後、患者さんに「どうですか?」と聞きます。

ここで「楽になった」という答えが返ってきても、ホッとするのは一瞬だけです。

 

なぜなら、楽になった理由がわからないから。次に同じ症状の患者さんが来ても、同じ結果が出せるかわかりません。なんなら、同じ患者さんが同じ症状で来ても、今回と同じ結果が出せるかわかりません。

自分が何をしているのか、自分でもわかっていないんですから。

 

「こんなことを続けていては持たない」と思ってからは「できないことはやらない、わからないことには手を出さない」と決めました。

 

できることだけをやる。わからないことは深追いしない。そのかわり、できること、わかることにはキッチリ結果を出す。結果を出せることしかやらない…これを続けていると、ある変化がおきました。かえって対応の幅が広がってきたのです。

 

できることが限られているので、最初は対応できる症状が少なかったのですが、そこからは少なくなるどころか他の症状への応用が効くようになりました。

 

確かなものを積み重ねると、それは経験になります。

 

逆にあやふやなものをいくら集めても、経験にはなりません。

10年の臨床経験があっても、何の自慢にもなりません。

業界に長くいる、ただそれだけです。

 

いつか「気」がわかるようになるかもしれない、と淡い期待を抱いて鍼灸師を続けている人には残酷かもしれませんが、「気」を感じるために費やした年月と労力は報われるのでしょうか。

「気」がわかれば、治療で圧倒的な成果をあげることができるのでしょうか。

 

他人に理解されないけど自分は確かに「気」のようなものを感じていて、それで結果も出している。そういう人に僕が伝えられることはありません。

 

一方で「気」がよくわからないけど、何となくあるらしいし、わかるようになったら良いな、と漠然と考えてる人は、自分の五感で感じられる、確かなものだけを指標にした方がいいです。