「気」とかわからないけど、鍼灸師やれてます

僕は「気」が何なのか、よくわかりません。

見えたこともないし、感じたこともありません。

 

世間では、一流の鍼灸師は気を出したり、気の流れを読んだり、気を感じたりしている、というイメージがあるのでしょうか。

 

実際、理屈では説明のつかない方法で身体の状態を捉え、圧倒的な治療効果を上げている鍼灸師もごく一部にいるようです。

 

ですが、彼ら彼女らは一握りの天才だと考えた方が良さそうです。そうでなければ、世の中にもっと「気」を感じられる鍼灸師がいるはずです。

 

大半の鍼灸師は普通の人間なので、視覚・味覚・嗅覚・聴覚・触覚の五感から得られる情報しか認知できません。

僕も普通の人間なので、五感を使って治療に必要な情報を集めています。

 

自分の感覚ではっきりと認知しているもの以外を頼りにすると、治療の結果もあやふやになります。

行き先があやふやなのに走り出しても、ゴールにたどり着ける保証はありません。たまたまゴールの近くに着いても、それは偶然です。

 

偶然に頼って治療を続けるのは、とても辛い。患者さんに対して責任がとれないのはもちろんですが、霧の中を手探りで進むような治療を続けていて、まともな精神を保てる人はいません。

 

僕も偶然に頼って治療をしていた時期がありました。患者さんの訴えを聞いて、とにかく鍼を打つ。1本1本の効果や影響を考えている余裕はありません。

 

さんざん鍼を打った後、患者さんに「どうですか?」と聞きます。

ここで「楽になった」という答えが返ってきても、ホッとするのは一瞬だけです。

 

なぜなら、楽になった理由がわからないから。次に同じ症状の患者さんが来ても、同じ結果が出せるかわかりません。なんなら、同じ患者さんが同じ症状で来ても、今回と同じ結果が出せるかわかりません。

自分が何をしているのか、自分でもわかっていないんですから。

 

「こんなことを続けていては持たない」と思ってからは「できないことはやらない、わからないことには手を出さない」と決めました。

 

できることだけをやる。わからないことは深追いしない。そのかわり、できること、わかることにはキッチリ結果を出す。結果を出せることしかやらない…これを続けていると、ある変化がおきました。かえって対応の幅が広がってきたのです。

 

できることが限られているので、最初は対応できる症状が少なかったのですが、そこからは少なくなるどころか他の症状への応用が効くようになりました。

 

確かなものを積み重ねると、それは経験になります。

 

逆にあやふやなものをいくら集めても、経験にはなりません。

10年の臨床経験があっても、何の自慢にもなりません。

業界に長くいる、ただそれだけです。

 

いつか「気」がわかるようになるかもしれない、と淡い期待を抱いて鍼灸師を続けている人には残酷かもしれませんが、「気」を感じるために費やした年月と労力は報われるのでしょうか。

「気」がわかれば、治療で圧倒的な成果をあげることができるのでしょうか。

 

他人に理解されないけど自分は確かに「気」のようなものを感じていて、それで結果も出している。そういう人に僕が伝えられることはありません。

 

一方で「気」がよくわからないけど、何となくあるらしいし、わかるようになったら良いな、と漠然と考えてる人は、自分の五感で感じられる、確かなものだけを指標にした方がいいです。